夜中に玄関を叩く音で目が覚めました。時計を見たら、二時を少し過ぎた頃。家は住宅街の端にあり、こんな時間に人が来るはずがありません。夫も子どもたちも眠っている。私だけがその音を聞いて、布団の中で息を潜めました。
最初は夢だと思いました。でも、確かに「コン、コン」と二度。まるで、そこに誰かが立っているようなはっきりした響き。胸が冷たくなり、耳だけがやけに冴えていました。
私は恐る恐る玄関に近づき、ドアスコープを覗きました。
そこには、人の影がありました。
髪の長い女のように見えましたが、顔ははっきりしません。外灯の下なのに、顔の部分だけがぼやけていました。じっと立ち尽くし、動かない。インターホンも押さない。ただ、静かにそこにいるのです。
私は息を止めてスコープから目を離しました。心臓が耳元で鳴るほど高鳴っていました。
ドアを開ける勇気なんてありません。けれど、そのまま寝室に戻ることもできませんでした。怖くて足が動かなかったのです。
そのとき――。
また「コン、コン」。
今度は玄関のすぐ横、窓を叩く音がしました。ドアだけじゃなく、家の周りを回っているように思えました。音が左から右へ、少しずつ移動していく。
私は震えながらリビングに戻り、カーテンを閉めた窓に耳を寄せました。
そこに――「コン」。
確かに、向こう側から叩かれました。
気づけば、子どもたちが寝ている部屋の方からも、コツコツと壁を叩く音が聞こえてきました。家の周りをぐるりと歩きながら、壁や窓を叩いている。
夫を起こそうと振り返ったときでした。
子ども部屋のドアが、ゆっくりと音を立てて開いたのです。
私は叫びそうになりながら駆け寄りました。中をのぞくと、子どもたちは布団の中で静かに眠っています。窓も閉まっている。でも、ほんの一瞬、子ども部屋の奥の壁に、人影のようなものが動いた気がしました。
必死で夫を揺さぶり、声をかけました。けれど夫は全く目を覚まさない。まるで耳に届いていないかのように、深く眠り続けているのです。
叩く音は次第に弱まり、やがて消えました。恐怖で夜明けまで眠ることはできませんでした。
朝になり、恐る恐る玄関を開けると、ドアの前に何かが置いてありました。
――白い小さな花束。
花瓶にさされたのではなく、ただ束ねただけのもの。それがドアの真下に置かれていました。
夫や子どもに聞いても、誰も知らないと言います。近所の人にそれとなく聞いても、そんな時間に訪ねた者はいないと。
あれから二週間。
深夜になると、あの「コン」という音が耳に戻ってきます。幻聴なのかもしれません。けれど、昨日の夜――また玄関を覗いたのです。
スコープの向こうに、あの女がいました。
今度は顔がはっきり見えました。
血の気のない真っ白な顔で、目だけが黒く大きく開き、私を真っ直ぐ見ていました。
私は慌ててスコープから目を離しました。けれど、その直後。
ドアの向こうから低い声で、はっきりと囁かれました。
「次は、開けてね」
それからというもの、夜が来るのが怖くて仕方がありません。
あの女は毎晩、二時になると必ずやってきます。ドアを叩き、窓を叩き、家の中を確かめるように歩き回る。
夫も子どもも、まだその音を聞いたことがありません。私だけにしか聞こえない。見えない。
でも、花束は今も増え続けています。玄関先に置かれた花が、夜ごと一輪、また一輪と増えていくのです。
――このまま花で埋まるまで、私は逃げられないのかもしれません。